昨年5月に月200時間を超える時間外労働が原因で精神疾患に追い込まれ専攻医(研修医)26歳が自殺し過労死認定された神戸・甲南医療センター
その背景には過酷な労働環境とパワハラ体質とも言える影響を大きく及ぼしている具英成院長についてまとめました。
具英成院長の日常に行われる権力
「院長は、病院の方針に従わない職員を怒鳴り散らすなど、意見することができない風通しの悪さがありました。例えば高島先生が亡くなられた昨年5月頃、院長主導で甲南加古川病院の移譲話が進められていましたが、組合の反対もあってこの話は白紙になった。すると、組合への説明会の場で、立ち消えについて突っ込まれた院長は突然、机を叩くなどして激高したのです。他にも部下を院長室に呼び出して、椅子などを叩きながら叱責することも少なくない。今年も『収益がプラスにできないなら、あなたの地位も名誉もなくなる』などと、ある幹部職員を恫喝していました」(同前) 引用元:文春オンライン |
典型的なピラミッド式の支配と権力を振りかざし自分の思い通りにならなければ、ダダをこねるイヤイヤ期真っ只中の72歳児
また、具英成院長は2020年から同グループ「甲南会」の3つの病院の理事を務めているが、それぞれの病院の事務長が1年以内に具英成院長兼理事のパワハラ体質に苦痛を抱き全員辞めてしまうほどです。
コメントには、
昭和時代の医者は、医者はこの世で一番偉い!俺のいう事聞け!と狭い世界でものを言うんですよ。 事務員は一番下ですから話もできません。研修医や下っぱの医者は小僧ですからね。この院長もご多分に漏れず!人1人が追い詰められていたことすら見抜けないヤブ医者ですよ!医師の資格のない院長です。ご家族は徹底的に戦ってくださいね。 |
具英成院長はバリバリのやり手外科医
「もともと彼は、神戸大で教授や大学病院の移植医療部長を歴任した人物。 2006年にはハーバード大で『治療はできない』といわれた末期肝臓がんの米国人男性の手術を成功させるなどとしたバリバリの外科医です」(中堅職員) |
「24時間ぶっ通しの移植手術」って、3時間で終わる移植に24時間かかってる時点で 相当アクシデント起こしてそうだけどな。自分で手術長くしといてゴットハンドとか言われても恥ずかしくないんかな あかん、負の感情がフツフツと湧いてきてしまう☺ |
8月17日に行われた過労死認定を受けた記者会見
早朝から深夜まで患者さんのために働いて過労で亡くなったら、病院は強制していない、 勤務中に寝ていた、自由度の高い勤務とのことです。 自分の身は、自分で守るしかないです。 |
具英成院長のリッチぶり
2009年には神戸市内の一軒家を新築。加えて、2021年には神戸市内の高級住宅地に佇む新築マンションの1室(推定価格8000万円)をキャッシュで購入するなど、羽振りの良さも窺がえる。 |
12年後に8000万円のマンションをキャッシュで購入できてしまう、利益重視のワンマン経営のたまもの。
具英成院長、島根県出身の在日2世
東洋経済新聞より
具 英成(ぐ えいせい) 略歴 1951年 在日2世として島根県に生まれる(2023年現在72歳)1977年 神戸大学医学部附属病院医員(研修医) 1981年 米国留学:University of Tennessee, Department of Biochemistry(〜1982年10月) 1987年 神戸大学医学部附属病院助手 1990年 英国短期留学:University of Cambridge Clinical School 1992年 神戸大学医学部附属病院講師(外科学第1講座) 1999年 神戸大学医学部助教授(外科学第1講座) 2005年 神戸大学医学部教授(肝臓・移植外科) 2007年 神戸大学大学院教授(肝胆膵外科学分野教授、外科学講座主任教授併任)(〜2016年) 2011年 神戸大学教育研究評議会 評議員(併任)(〜2014年) 2012年 神戸大学医学部附属病院 移植医療部長(併任)(〜2016年) 2017年 一般財団法人甲南会 甲南病院院長 神戸大学 名誉教授 2017年 一般財団法人甲南会 法人本部長(併任) |
具院長の生い立ちと医師を志したきっかけ
父は島根で林業を営んでいた。10人兄弟の8番目に生まれた。 長兄が今なら助かる事故で無くなり、母がいつも深い悲しみを抱いていたことや、医療の大切さを知り医者を強く勧めた兄弟がいたことがきっかけとなり医学に興味を持った。医者になろうとはっきりと決意したのは高校2年生のときだ。在日に生まれて露骨な民族差別を受け嫌な思いをしたことはもちろんあるが、両親や兄弟に守られ、あまり気にならなかった。 |
高校までは、日本名だったが、大学入学に本名に変えた。医学は実力がすべて、夢と希望を信じて努力してきた。外科、中でもがん治療は医学の最先端技術を必要とする。母校に残り、医学研究の大切さに気づき、がん治療の限界に挑戦する過程で、大学病院の外科医になったのは、私にとって必然だった。 |
かつて具英成院長は神戸大教授時代、在日の若者へメッセージを送ってる。
挫折や困難を経験することがあっても、それに負けず、その経験を超えることで、逆にやさしさや品性・品格を高め磨いてほしい。私も人生で大きな失敗や挫折を経験してるが、先輩や友人、家族に支えられ、「ともすれば投げ出したくなる自分自身に負けず、忍耐と協調性」を持って乗り越えてきた。自分の選んだ領域であれば、妥協せず常に今一歩の努力を重ねてほしい。 引用元:東洋経済日報 |
外科医としての病気をみるプロとして華麗な実績を残してきたが、上に立つ人物として未来の医療を支え、引き継いでいく若き医療従事者を追い詰めたことの重大さは通じなさそう
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