GoogleのCMにも登場した日本のマチュピチュとも表現される「竹田城」。実はこれからの時期が見ごろの時期なんです!竹田城の魅力を詳しく紹介したいと思います。
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正確には「竹田城跡」で、お城はもう現存していないのですが、石垣が完存している全国でも稀な城跡です。画像の通り、早朝に朝霧が発生し雲海に覆われたその姿から「天空の城」と呼ばれています。平成24年には「恋人の聖地」の認定を受け、カップルにも人気のスポットになっています♪
出典:twinavi.jp
こちらがマチュピチュの画像。アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷にあるインカ帝国の遺跡です。世界遺産に登録されていることでも有名で、山裾からこの遺跡を拝むことは出来ません。その姿から「空中都市」と呼ばれています。竹田城跡とかなり似た雰囲気に見えますね。
円山川から発生する霧によって雲海が作られます。昼の暖められた空気が夜になり冷やされ川の水温よりも低くなると、川の水から霧が発生します。その霧が山間にたまり、それよりも標高が高い場所から見ると、雲が海のように見える雲海を見る事ができます。
9月~2月末まで見れるといわれていますが、晩秋の時期が一番遭遇できる確率が高いです。11月下旬~12月上旬が狙い目で、それ以降になると入山規制されることもあり、11月下旬が特におすすめといわれている時期です。
霧が発生する明け方~午前8時頃が一番雲海を見る確率が高い時間帯です。
週間天気予報で気温を確認し、最高気温と最低気温の寒暖差が大きい日の翌日を狙うといいとされています。前述の通り、昼の暖められた空気が放射冷却されることにより霧が発生するので、湿度がなるべく高く、よく晴れており風が弱いことも雲海を見るための重要なポイントです。また、前日深夜に播但連絡道路に「霧注意」の表示が出ていると、発生する可能性が高いそうです。
永享3年(1431年)に山名持豊によって築城され、太田垣光景が初代城主となったといわれている長い歴史を持つ城です。当時の竹田城は播磨と但馬の国境を守る拠点で、播磨を平定するための出撃の拠点ともなっていたそうです。太田垣氏が7代にわたって城主となりましたが、秀吉の2度の但馬征伐で竹田城は落城します。その後、秀吉の弟、秀長の属将的な地位にあった桑山修理太夫重晴、続いて播磨龍野城主 赤松政秀の子、赤松広秀が城主となります。最後の城主である赤松広秀は関ヶ原の戦いで西軍に属しており、その後敗戦し、江戸幕府の方針により、竹田城は廃城となりました。
2006年に「日本100名城」に選ばれ、その後映画やドラマのロケ地になったり、CMで起用されたりと年々話題になっており、ここ数年は倍々で観光客が増え、2005年度は12000人程度だった観光客が2014年には58万人を超える数にまで増加。日本の新たな観光スポットとの呼び声も高く、近年脚光を浴びることとなりました。しかし、急激な観光客の増加はいい事ばかりではなく、観光地としての土台が整っていなかったために、転落事故なども以前起こりました。
冬季や天候を考慮し、閉山するなどの措置を取るようになり、整備が進められるようになりました。古城ですが、長年、風雪に耐え続けてきた竹田城。しかし観光客が増加すると、観光客が多く山道を通ると、その地面が踏み固められて草が生えなくなります。すると、表面からは土砂が流出し、雨水で流された土が石垣に入り、石垣がせり出してしまうという問題にも直面しました。
また、観光地の問題として挙げられるのが観光客のマナーについてです。観光客が石垣に登ったりタバコを吸ったり、更には石垣の損傷などの理由で立ち入り禁止になっている場所への出入り。様々な問題があります。これ以上問題が起きると、今以上に制約ができ、入山禁止の措置となる可能性もなきにしもあらずなので、観光客一人一人がモラルを持ち、マナーを守って行動するようにしましょうね。
その雄大な姿から一躍有名となった竹田城ですが、それに伴う問題にも直面しています。雲海に包まれる姿は圧巻の一言なので、多くの人が楽しめる場所を存続していけるといいですね。